ついに処分 22年前から相棒だった自転車との別れ
今の「小さな実用書の出版社」に入る前の手手帳大手のカモノハシ出版に入る前、書店にいたときの退職の二年ほど前から乗り始めた無印良品の自転車。もうかれこれ乗り始めて22年になりました。
そもそも僕が自転車にはまるきっかけとなった自転車でした。長男との琵琶湖サイクリングと淡路島サイクリング、次男との琵琶湖サイクリングなどもありました。倉敷の先輩のところまで行ってそのまましまなみ海道を渡ったこともありました。分解して輪行する技を覚えて、四万十へも行きました。先輩からルイガノを譲ってもらい、かつての上司から折り畳みをいただき、その後自分では初の新車のアラヤFEDフェデラルを手に入れて、最近は普段使いになって、活躍の機会が減っていました。
電動自転車すら「邪道だ」と切り捨てていた自分が、もっと楽のできるバイクに転向して、四台の自転車はどうしても面倒が見られない、場所も取るし処分することにしました。実はもう一台、別のかつての上司からいただいた
マウンテンバイクがあったのですが、それはずっと以前に、友人に引き取られていきました。古い写真を紐解いてみました。
初めて長男と本格的なサイクリングは琵琶湖でした。その時も無印号がお供でした。初日はよかったのですが、二日目は雨。気温零度の国道を、横のトラックにおびえながら走りました。木之元の平和堂で着替えを購入しました。今思っても、彼はがんばったなぁと思います。
次に長男と行ったのは淡路島。ゲームにはまっていた彼は、友人と共に参加。暇があればゲームばかりでした。でもその時もがんばって走ってくれました。が、彼との本格的サイクリングはこの二回だけでした。
ずっとあとになりますが、次男とも琵琶湖サイクリングへ行きました。が、彼はどうしてもお兄ちゃんといった淡路島へは付き合ってくれず、本格的サイクリングは一度だけでした。この時はすでに先輩からいただいたルイガノTR1トライチ号が出動でした。
もっぱら一人で走ることが多かった自転車旅。赤川橋梁が大阪東線がいずれ開通する時には走れなくなると、見に行ったこともありました。
そして、いよいよ本格的にはまるきっかけとなったのが総社の先輩宅へのサイクリング。途中、姫路で一泊して走り続けました。感動したのは備中国分寺の美しさでした。
先輩宅からしまなみ海道を走り、来島大橋大橋。この後、東予からフェリーで帰ってきた。南港からの早朝の道がクタクタでした。
たくさんたくさんの思い出を作ってくれた無印号も、もう22年。よく走ってくれました。いよいよ、廃車とする決心がつきました。一部の部品は、先輩からいただいたルイガノTR1トライチ号に移して、回収を待つばかりとなってしまいました。本当は無印君と来ないといけなかった流れ橋です。でも感謝の気持ちをこめて、ありがとう。「いい人生だった」と今、言えるのはあなたのおかげも大きかった。たくさんの思い出をありがとう。
そもそも僕が自転車にはまるきっかけとなった自転車でした。長男との琵琶湖サイクリングと淡路島サイクリング、次男との琵琶湖サイクリングなどもありました。倉敷の先輩のところまで行ってそのまましまなみ海道を渡ったこともありました。分解して輪行する技を覚えて、四万十へも行きました。先輩からルイガノを譲ってもらい、かつての上司から折り畳みをいただき、その後自分では初の新車のアラヤFEDフェデラルを手に入れて、最近は普段使いになって、活躍の機会が減っていました。
電動自転車すら「邪道だ」と切り捨てていた自分が、もっと楽のできるバイクに転向して、四台の自転車はどうしても面倒が見られない、場所も取るし処分することにしました。実はもう一台、別のかつての上司からいただいた
マウンテンバイクがあったのですが、それはずっと以前に、友人に引き取られていきました。古い写真を紐解いてみました。
初めて長男と本格的なサイクリングは琵琶湖でした。その時も無印号がお供でした。初日はよかったのですが、二日目は雨。気温零度の国道を、横のトラックにおびえながら走りました。木之元の平和堂で着替えを購入しました。今思っても、彼はがんばったなぁと思います。
次に長男と行ったのは淡路島。ゲームにはまっていた彼は、友人と共に参加。暇があればゲームばかりでした。でもその時もがんばって走ってくれました。が、彼との本格的サイクリングはこの二回だけでした。
ずっとあとになりますが、次男とも琵琶湖サイクリングへ行きました。が、彼はどうしてもお兄ちゃんといった淡路島へは付き合ってくれず、本格的サイクリングは一度だけでした。この時はすでに先輩からいただいたルイガノTR1トライチ号が出動でした。
もっぱら一人で走ることが多かった自転車旅。赤川橋梁が大阪東線がいずれ開通する時には走れなくなると、見に行ったこともありました。
そして、いよいよ本格的にはまるきっかけとなったのが総社の先輩宅へのサイクリング。途中、姫路で一泊して走り続けました。感動したのは備中国分寺の美しさでした。
先輩宅からしまなみ海道を走り、来島大橋大橋。この後、東予からフェリーで帰ってきた。南港からの早朝の道がクタクタでした。
たくさんたくさんの思い出を作ってくれた無印号も、もう22年。よく走ってくれました。いよいよ、廃車とする決心がつきました。一部の部品は、先輩からいただいたルイガノTR1トライチ号に移して、回収を待つばかりとなってしまいました。本当は無印君と来ないといけなかった流れ橋です。でも感謝の気持ちをこめて、ありがとう。「いい人生だった」と今、言えるのはあなたのおかげも大きかった。たくさんの思い出をありがとう。








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