八坂神社の起源 福山市新市町の素盞嗚神社


京都にある八坂神社は京都の中でも信仰の厚い古いお社である。毎年、七月に行われる祇園祭は沢山の山車が出て全国から多くの観光客が訪れる。その八坂神社は正式名称は感神院という。祀られているのは牛頭天王つまり素戔嗚尊であり、全国にある祇園社の元であると思っていた。

旧知の友人に会うために久しぶりに広島へやってきた。色々と調べていると、福山は備後の国である。備後の一宮は吉備津神社。もともとは倉敷にあった吉備津神社を分けたものである。ところが備後国には一宮が2つあると言う。どうして?と思いながら調べてみる。件の神社は福山市新市町にある疫病隈神社(えのくまのじんじゃ)・素盞嗚神社(スサノオじんじや)というのがもう一つの一宮だと言う。いちど行ってみようと思ったのが今回の小さな旅のきっかけだ。

そもそも牛頭天王とはなんだ。天王と言うからには皇室に関係するものであろうか。いや文字も違うしそれは違ったらしい。お釈迦様が説法をしたと言われる祇園精舎を守るインドの神様が牛頭天王である。そしてもう一つそれと一体として祀られているのが、高天原を追われ出雲で八岐大蛇を退治した素戔嗚尊である。

奈良時代我が国には疫病が流行った。人々は怖れ、それに対抗できる神として、神々の中でも最強と信じられた牛頭天王と素盞嗚尊をこの地に祀ったという。この地から明石、姫路、京都へと伝わり、全国に広がったとされている。

また、京都の八坂神社の祇園祭には粽(食べられないわらでできたもの)が授与され、京都では玄関にそれを飾ることになっているのだが、それには蘇民将来の子孫と書かれた紙が貼り付けられている。旅をしてきた素戔嗚尊が一夜の宿を求めたのに、裕福な弟の古単将来は追い返し、貧乏な兄の蘇民将来は快く宿を貸し、そのお礼に素戔嗚尊は子供達の安全を約したと言う。このあたりの話は祇園牛頭天王御縁起に残されている。

また牛頭天王は朝鮮の最強の神 武塔神とも言われて一体とされており、牛頭天王=素盞嗚尊=武塔神 ということになっている。話がどんどんややこしく、わからなくなってきたぞ。

IMG_5196.JPG素盞嗚神社では福山から福塩線に乗って上戸手駅下車5分ほどである。また、この地には本地堂が残されている。仏教伝来の折、神様は仏様が姿を変えたものだとされており、神社には仏様のためのお堂が建てられた。本地垂迹である。明治の廃仏毀釈で本地堂が残されているところは少ないのだが、珍しく残っている。IMG_5209.JPG

素盞嗚神社にお参りをし、社務所でお話をお聞きして、ご朱印をいただき、小さな旅は終了である。そうそう、ここの狛犬は立っていて、珍しい。IMG_5199.JPGIMG_5200.JPGIMG_5207.JPGIMG_5206.JPG

また、素戔嗚神社には、かつてこの地にあったお城の門が二つ残されている。お城跡までは時間がなくていけなかった。そもそも、府中という名前からわかる通り、かつては国府=官衙(国の出先機関)があり、交通の要衝でもあったようだ。

ところでJR福塩線!これもまた楽しい路線である。福山から塩町まで結ぶ路線であるが、府中から先は非電化ローカル線のいい感じの線路が続く。18切符の季節なら延々と乗ってみるのも楽しそう。駅で大好きな湘南色の近郊型の電車と出会った。広島市内では新型がほとんどになってきていよいよ見納めになるかもしれない。
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