岡山・総社 お尻がちょっと気になる神社巡り

バイク仲間の竹さんと、「どこかツーリングに行きたいね」と話があり、同じ仲間の川さんに尋ねると「学校納品で忙しいねん」。東さんは「その日は仕事」とみんなの都合が合わず。それなら、ずっと行きたかった岡山の先輩宅へ行ってみようかと話がまとまりました。ここで、軟弱者の二人が選んだのはバイクではなくクルマ。高速を一気に倉敷まで駆け抜けました。

「朝の自家製パンを焼いといてね」とお願いしたので、早朝出発で、先輩宅へ着いたのは8時前。「うーん、よく走った」、って「お前は運転しとらんやろ!」はいそうでした。すみません。お家につくと、いつもなら飛び出してくるはずの愛犬、太郎君が飛び出してきません。さすがに高齢になってきてちょっと大人になった感じです。さて、朝食。約束通りに作っておいていただいたパンをたくさんいただきました。野菜も新鮮でおいしい!ごちそうさまでした。

本日のスケジュールは車でこのあたりの神社を回ること。実は総社には「鬼ノ城」という朝鮮式の山城があります。ここには”温羅”という鬼が住み、不法を行ったので桃太郎に討たれたという伝説があります。また、山仲間の気にしている”お尻の上がった狛犬”も何体もあるということで、それも見に行こうとなりました。

個人的には、吉備路と言われるこのあたりのシンボルは、備中国分寺。寄りたかったのだけど、「横を通るからそれで我慢しなさい」と通過。あーご朱印がもらえなかった…いやいや、次に訪ねる時の宿題にしようっと。

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まずは件の鬼ノ城へ。狭い道だけれどわれらが軽自動車で快適に攻め落とすことができました。

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次は、阿宗神社。どこで見つけてきたのか、討たれた温羅の奥様阿曽媛がおられたというところだそう。規模もそこそこあるのだけれど、神社名を示すものがなかなか見つからなくて確証を得るまで境内をうろうろでした。狛犬のお尻は…上がってないな。

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竹先輩は鬼瓦や軒先の紋をしっかりチェックしていました。五三の桐と菊のご紋です。

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こちらは葦守八幡宮です。しっかりとお尻を持ち上げています。。日本書紀に、応神天皇が立ち寄ったという記録があります。
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でも、登ってきたのは横からでした。正面はこちらです。
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道端に見慣れぬ石柱があったのでパチリ。
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大地を堅固に守る神ってことですかね。

ここからすぐ近く、村の中の狭い道を通っていくところにあったのが、白山神社。北陸の白山比咩神社から平安時代に勧請したものです。
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みごとなお尻じゃ!さっそく、長老にメールで送っておきました。
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もともとは、温羅の首をさらしたところだそうで、この辺りを首村というのもゆかりだそう。ところが、討たれた後も首はうなり続け、吉備津神社の境内に埋めるとおさまったとの言い伝えがあります。
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さて、次は吉備津彦神社。元々、吉備は一つの国だったのを、備前、備中、備後の三つに分けられました。元々あったのが吉備津神社。そして、すぐ横にできたのが、吉備津彦神社。福山にも吉備津彦神社があります。吉備津神社が一番ご商売上手なようで、あ、失礼。ご利益があるようで、大勢の人でにぎわっていました。
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温羅を討った吉備津彦をまつる神社とあって、境内を外れたところに温羅神社なるお社がありました。
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歴史は常に勝者によって作られるものです。温羅は善政を敷いていた地方豪族と考えられます。出雲の国譲りもそんな感じかと僕は思っています。まぁ、もともと判官びいきで、負けたほうが好きなんだけど。

そして、大好きな吉備津神社。回廊がすてきです。竹先輩と清音の先輩が連続で現れました。
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吉備津神社の一番気に入っているのはこの回廊です。観光客がアングルを考えられてました。あ、僕も観光客か。
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温羅は吉備津彦の夢枕に立ち、阿曽媛に釜をたかせるように命じます。世の中に災いが起こる時には釜がなるのだそう。釜は今も炊かれ続けていて、消えたことがないのだそうです。
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境内には弓道場があり、ちょうど試合が行われていました。張り詰めた空気がとても新鮮でした。
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さんざん歩き回ったので、お腹もすきました。ご飯を食べて、帰阪することにします。両先輩、一日付き合ってくださって、ありがとうございました。

















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