今のうちに書き残しておきたいいくつものはなし

たかだか、耳鳴りと視界に時々走る閃光から始まった今回の不調。ようやく、耳鼻科にも眼科にも行って来たのだけれど、お陰でインフルエンザをもらって来たようだ。

もちろん、予防注射はしていたのだけれど効かず、ただ今38.5度。高熱に弱い僕は、つかまらないと歩くことすらできない有様だ。土曜日日曜日と月曜日、火曜日も休みをもらったにも関わらず、インフルエンザとは予想もしていなかったので、動けないことをいいことに寝てばかりでした。

今日の夕方から急激に熱が上がり、これは多分インフルエンザだと、内科で受け付けをしている佳人から言われた。それにしてもダルいししんどいし、大好きなお菓子も食べたくないし、いよいよヤバイ。

こんな機会だからと人生を振り返ってみる。大学生の時に農協スーパーのエーコープで半年バイト、水嶋書房で働けたらいいなぁと思いながら棚卸の手伝いをきっかけに書店へとバイト転職。思惑通り、水嶋の社員にはなれたけれど、その頃から、書店の売り上げは減少。所属していた郊外店が1/3の売り上げになり、社長は投資していたゴルフ場などの債権が紙くずになり借金ばかりになった。当然、社員は給料のいいものから退職勧奨、というか首にされた。

書店の働き口を探したが、なかなか見つからず、しばらくは消火器のハッタ製作所で働いた。肉体労働で、雨の夜、悲しくて泣きながら帰ってきた。小さな小さな書店の話もいただいたが、正直言って決心がつかなかった。

そしてその頃、ちょうどシンシン堂が倒産。このまま書店の口を探しても見つからない可能性が高いから、と「手帳の高橋」に入社させてもらった。給料は安くて、「住宅ローンも払えるかわからへんなぁ」と言いながら、佳人も「私も頑張って働くし、無理やったら家も売ってしまって、どちらも枚方なのだから実家にころがりこもう」そこまで話はしていたんだ。

さて、高橋書店は社長も顧問も大好きだったけれど、書店のことばかり考えて、あまり強気に営業できない僕はずっと給料は安いままだった。「いつまで本屋の気分でいるんだ」とは、今も言われ続けている言葉なのだけれど、ずっとその気持ちは貫いてきた。僕自身は大阪勤務の仲の良かった社員が2人もクビになり、自分も将来の不安を感じて退職した。ただ、僕の後に、紹介して入ったノッポさん、書店時代は「新刊?いりません」「一冊配本があればいい」「売れてから注文する」と言いながら、「食事行きましょう」「たまには一杯行きませんか」なんて言ってた営業マン泣かせの店長だったのに、営業に代わるとその手腕がすごくて、結果、彼がやめた時には給料も僕の時代の4割アップになっていたのにはめげました。

僕の辞めた噂を聞いて、池田書店の大阪の所長と常務が声をかけてくれた。迷う余地はなく、入れていただいた。しかも、ちょうど2年目にはおつまみ横丁のミリオンがおこり、社員旅行で台湾旅行に連れて行っていただいた。

水嶋を辞めたとき、家の表の路地で近所の子供達と遊べる時間ができた。そして、その頃から僕は生き方が変わった。仕事をするのが男の生き方、そう思っていたのだけれど、生活のために働かないといけないけれど、それは生き甲斐ではない。子供や佳人、両親や仲間たちと楽しむことが大切なんだと思えるようになった。

取引先の京橋店で、転勤する山ちゃんの送別会に呼んでもらい、酔った勢いだったけれど彼が僕の手を握り、「いい友達を手に入れた、僕の財産」だとまで言ってくれた。(実は酒の上での話だったようで覚えていないのが癪に障るけど)

また、今、意見が合わないことが多いのだけれど、一緒に働くことになったノッポさんも、「この歳でこんな友達と知り合えるとはなんで幸運なんだ」と言ってくれたことがあった。もちろん、こちらも同じことなんだけれど、あのまま本屋にいたんじゃこんな想いにはならなかったと思う。

長女は昨日彼氏が挨拶に来てくれたし、長男も就職が東京で決まった。次男も国家試験が終わり就職、マンションを借りて彼女と共同生活を始める。

僕自身はあまりにもしんどくて、明日の朝にはダウンしているかもしれない。でも、僕の人生はみんなに支えられて幸せだったと書き残しておこうと思ったんだ。

あーそれにしてもしんどくてしんどくて…

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